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〈ペア数・3〉命術における“相性”の意味

現代社会の風潮は生命の否定?

相性には一般的に言われるような「良し悪し」というものはない

一般的な相性占いでは「気が合う」とか「価値観を共有できる」ような関係は相性がよく、そうでない場合は相性が悪いとしているに過ぎない。というのが私たちの見解です。

気が合うといっても単に表面的なコミュニケーションに対立が生じにくいというだけのことかもしれませんし、人の価値観はその方向性が同じでも深さが異なれば共感には至らないものです。

そして何より、ある性質とある性質の間に生ずる関係を良好で生産的とするか険悪で破壊的なものとするかを決定づける際、命術の方に明確な基準が存在しない場合その判断は術者の主観もしくは一般論によるシミュレーションでなされています。

例えばお互いを補い合う関係は反対の性質であることが常ですから必ずしも、いつも仲むつまじいとは限りません。ぶつかり合う中でお互いを研鑽し合う仲もあります。
これを術者の主観で判断し相性が悪いとしたり良いとしたりしているに過ぎないのです。

ペア数は吉凶を判断しない

ペア数の面白いところは他の命術によくみられる吉凶の概念がないことです。1つ1つの数は独立した価値を持っており、それぞれ等しく陰陽を内包しているため凶数というものが存在しません。

カバラ数秘術においては数に吉凶を見出しているのですが、それは彼らが信仰という絶対的な概念を持っているため善と悪がはっきりと区別されるからです。

ペア数による鑑定では例えば8の人と3の人を8と3の性質の相違点や共通点を探して「相性」を評価するのではなく、2つの数の和としての姿を読み解きます。

8 + 3 = 11

考えてもみてください。2人以上の人が共に行動しているときに、その中で起きるさまざまなコミュニケーションや険悪だったり仲が良かったりという表面的な状況そのものは、本当にその人たちが一緒にいる意味の全てなのでしょうか?

相性が良い、悪いというのはそういった「ある種の生産性」に寄ったものの見方です。

共に行動するペアが互いの持つ性質を重ね合わせ、1人ではできないこと起きえないことを実現し、これまで地上に存在していなかった新しい存在となることがペアになることのより本質的な価値であり、それ以外の表面上のやりとりのありようは時と共に移ろいゆく一過性のものです。

くどいかもしれませんが、ペアの本質はそのペアが元々の個人とは違う何か別の存在へと変化することにあり、後はその変化をそれぞれの人が受け入れるかどうか?

端的に言えばその自分(たち)を気にいるかどうか?ですのでクライアントに必要なのは鑑定の結果を受け、

相性が悪かった → 落ち込む
相性が良かった → よろこぶ

という受け身な経験をすることでなく、先の例で言えば

8 + 3 = 11

お互いに持ち合わせていなかった 11 の性質をパートナーを得ることで体験できる(している)ということを自覚することです。

敢えて強い表現をさせていただくなら、例えば誰かを好きになって相性占いを受けてみて「自分とあの人とは上手くいくのか」というようなことを事前に一人で知ってどうするのでしょう?

もし上手くいかないという鑑定結果なら、やめておくのでしょうか?何もする前から?

結局そのような鑑定結果と解釈は、一時の感情的な浮き沈み、あるいは糠(ぬか)喜びや取り越し苦労の種になるのがせきの山で、クライアントに時間とお金の無駄遣いをさせてしまいます。

繰り返しになりますが、大切なのは、

意中のあの人や、今目の前にいるその人と生きるということは、どういうことなのか?です。